[0] iPad 2の評価が二分される理由-[Id of Radiance ver.5]





■ iPad 2の評価が二分される理由

 記事の内容全体はともかく、Androidタブについて

「タブレット端末を日常使う生活の中の道具、あるいは仕事に活用する道具として使いこなしたいのに、砂漠の中にバックパック1つで放り出されたイメージだ。」(引用)

 ってのはさすがに微温湯に慣れ過ぎた意見なよーに思う。まあスタート状態での分かりやすさに差があるのは事実だろうけども、さすがに砂漠に放り出されたほどの放置感はねーよと。どんだけ手取り足取りじゃないと仕事できないんですかと。

 で、iOS系について

「自分が何をすべきか、行動の指針が自然にわかるようになっている。」(引用)

 との事だが、この「誘導された行動指針」が果たしてホントに「指針」と言っていいのかと。サブリミナル的にいいように操られてるだけなのと違うのかと。ま、こーゆー意見こそが記事中で言うところの「反アップル的な人たち」なんだろうけどね。

 けど一般の人、少なくとも日本の一般の人には「親アップル」の人が言うほどiPadは浸透してはいない。「タブレット中のiPad比率超たけー!」とか言っても絶対数がまだ少なすぎなんでわ。信者の人たちがうっとりして語るところの「エコシステムの完成度の高さ」についても然り。

 Android搭載スマフォの出荷台数がこの短期間でiPhoneを超えるなど、1年前の今頃想定できる人は少なかったハズ。タブ業界も1年後どーなってることやら。いやそれどころか「そいや1年前くらいはまだタブレットとかスレートとかあったよね」的な流れもあるのかもしれない。Netbookがあっとゆーまに騒がれなくなったと同様に。


 ところで。
 記事中でiOS系をシンガポール、Android系を香港になぞらえてるが、まあAndroidの香港は言い得て妙なよーに思う一方、iOS系については「むしろ社会主義国的だよね」とか思うのだが如何。

関連タグ:iOSAndroid
2011-03-03 [PC]

関連記事: